【フロム仙台】〜明日は我が身〜

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『破壊』

清田拓郎

【写真:若者たち】

がれきや土砂の撤去・・・若者たちが率先して動いてる。


清田拓郎

【写真:川】

現代風に形容するなら川が「キレた」ように荒れ狂った形跡が至るところに残ってる。


清田拓郎

【写真:サッカーボール】

いつかまたサッカーしよう。いくらでも未来は作り出せる。


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『春』

清田拓郎

【写真:避難所】

春が来た。避難所が解散する時期になった。


清田拓郎

【写真:台所】

再度、震度6強の地震・・・電気も水もガスもまたストップ。


清田拓郎

【写真:コップたち】

まるでおもちゃ箱をひっくり返したように・・・


清田拓郎

【写真:風呂の水をペットボトルでくんでいる様子】

トイレの水をくむために・・・


清田拓郎

【写真:トイレタンク】

2リットルのペットボトル5本分が、トイレのレバーを引いたときに流れる1回の水量。


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『無念』

清田拓郎

【写真:仙台市内ガソリンスタンド】

ガラスの真ん中あたりに泥の線が見える・・・。


清田拓郎

【写真:仙台市内】

生活がバラバラに・・・。


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『再会』

清田拓郎

【写真:歌津の人】

おそらくここの住民だと思う。時折り袖で涙を拭きながら、貼り紙を書き写していた。


清田拓郎

【写真:タナカケンさん】

魂のビーフシチュー!歌津の皆さんに最高の炊き出しを食べていただきたい一心で長野から参戦!すごい! 業務用なべセットから肉30Kg、野菜などを前日の夜から泊りがけで煮込んだ。


清田拓郎

【写真:歌津の人】

嬉しそうに食べてる姿・・・みんなが一緒にいるから大丈夫。


清田拓郎

【写真:歌津の人】

プロパンガスの台車をうまく利用し、野菜を近所の人に仕分けていた。青い買い物かごには宮城県村井知事が書いたサイン「がんばれ!歌津!日本!」の文字。


清田拓郎

【写真:復旧作業】

こうして24時間、どこかで誰かが誰かへと復旧リレーをしてる。
僕らが目にするのはほんの一部の表面だけ。 世の中は本当によくできている。


清田拓郎

【写真:大工のサトウヨイチさん】

「絶対にまた三陸の海の幸を復活させるから、必ず来てね」

・・・この言葉が心にしみた。助けていただいたことを絶対に忘れず、これから先のモチベーションにかえてゆくのだと言う。 津波後の2日間、何も考えずに過ごし、「本当に呆然ってなることがあるんだ」と気が付いた。今回の地震を通じて家族や地域の結束力が高まり、今後も地元を離れることなく復活へ向けて動き出すことを誓った。

僕個人としても、この町にできるだけ足を運び、いかなる過程も共有したいとお伝えした。


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『呆然』

清田拓郎

【写真:公立志津川病院】

津波が押し寄せた日、この病院の4階部分まで水が上がった。 病院内にいた患者や関係者は5階まで全員で避難し、夜通し建物に押し寄せる波の音でビクビクしながら真っ暗な中を過ごした。 病院内の緊急発電も浸水によりストップし、とにかく寒さをしのぐのに大変だった。


清田拓郎

【写真:自衛隊】

自衛隊の力は絶大。どれだけ心強い存在か・・・。


清田拓郎


清田拓郎


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『唖然』

清田拓郎

【写真:歌津駅】

本来、左の駅ホームと並行して真っすぐトンネルへと続いてる線路が、明らかに右の谷底へ引きずられてるのが分かる。 流されたものすべてが津波と一緒に凶器となり、町をズタズタにした。そして、形あるものすべてを片っぱしから粉々にした。


清田拓郎

【写真:歌津駅】

谷へ落ちてる線路。


清田拓郎

【写真:歌津駅】

高台にある駅のホームから町を見降ろす家族。
目の前に広がる現実に、4人は言葉を失っていた。


清田拓郎

【写真:歌津の町】

これが家族4人の見ていた景色。


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『一寸先は闇』

清田拓郎

【写真:南三陸町】

建物の屋上(右上)に注目・・・車が乗っかってる・・・。
水位の高さが尋常でなかったことを、こんな形で残さなくてもいいのにと思う。


清田拓郎

【写真:南三陸町】

変わり果てた景色・・・そこにはいくつもの思い出がある。


清田拓郎

【写真:南三陸町】

何もかもが抜け殻のよう・・・映画でもCGでもない。


清田拓郎

【写真:南三陸町】

津波と共に船が川を逆流してのぼった。


清田拓郎

【写真:南三陸町】

自衛隊の人が見つけ出してくれた写真アルバムを大事に大事に持ち帰ろうとしていた。


清田拓郎

【写真:南三陸町】

唯一残ったお孫さんの写真を見ながら・・・

「つらいなぁ」

この言葉が僕の中に突き刺さった。

こんなにも言葉が重いなんて、知らなかった。


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『目の前の事実』

清田拓郎

【写真:南三陸町】

ついに南三陸町へ・・・


清田拓郎

【写真:南三陸町】

トンネルを抜けると突然、空気が変わる入口がある・・・


清田拓郎

【写真:南三陸町】

自分の目を疑いたくなる・・・


清田拓郎

【写真:南三陸町】

屋上に避難した高校生たちは手すりにつかまりながら、腰の高さまで水に浸された。そして水が引いた後も、あまりの恐怖で手が離せなかった。


清田拓郎

清田拓郎

清田拓郎


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『つながり』

清田拓郎

【写真:全国からの救援隊】

日本総出。


清田拓郎

【写真:石巻市民】

この女性は津波が押し寄せた頃、加工食品の工場2階へ逃げ込んだ。水かさが増してゆく窓の外を恐る恐る見降ろしながら、迫りくる恐怖に怯えて震えていたとのこと。

「泣いてたって何も始まらない。私たちよりもっと大変な人がいる」

と言う。この人たちでさえすでに生活のほとんどを失っているにも関わらず、「もっと大変な人がいる」というその言い回しに、正直驚いた。


清田拓郎

【写真:石巻市民】

自宅2階へ逃げた電気屋さん。今は修繕工事のため、あちこち引っ張りダコで忙しいらしい。


清田拓郎

【写真:石巻市民】

「ここの部落の人たちがいたから助かった」

・・・と声をつまらせる。この右の方は工場長で、従業員が全員無事に裏山へ避難して助かったと安心した表情で教えてくださった。

「大事なのは、こうゆうときに普段からのコミュニティがものを言う。困った時はお互いさま。一人一役で乗り切る。大変なことは何もない。みんなと一緒でよかった」


清田拓郎

【写真:石巻市民】

消防団の息子さんは津波警報を発令してる間に津波に飲み込まれてしまった。どこの消防団員も、住民を守るために命を落とした。

「生きてる心地がしない」


清田拓郎

【写真:石巻市民】

太陽光でかろうじてテレビをつけ、情報を得ている。 現段階では電気でさえ復旧しておらず、発電機を使って夜5時〜8時の3時間だけ、子どもたちの寝る前につけているという。 トイレタンクも日に日に限界に近づいており、男は時間に関係なく全員外に作った穴へ。女性は昼間だけ外。お年寄りだけは建物内のトイレを利用している。 これから問われるのは「衛生管理」。集団生活が続けば続くほどストレスも重なって、新たなケアが必要になってくることは目に見えてる。


清田拓郎

【写真:石巻市民】

見ず知らずの僕を家の中へ招き、コーヒーをご馳走してくださった。息子さんも古川で無事。 この地区で明暗をわけたのは車で逃げた人と建物の上へあがった人。助かったのは後者。 近所のご夫婦は車で逃げようとして間に合わず、電信柱に激突した形で発見されたとのこと。

「僕がその場にいたらどうしてただろう?」を思えば思うほど、いてもたってもいられなくなる。

これは決して人ごとでは済まされない。


清田拓郎

【写真:石巻市民】

壁に残った生々しい水位の高さ。ほとんどの食器が割れ、出したゴミ袋の数はかぞえきれない。


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『無残』

清田拓郎

【写真:自衛隊ヘリ】

堤防の上を走っている僕らの車の高さと、ほぼ同じ速度+高さを飛行するヘリコプター。川の流れは穏やかだけれど水かさは増していて、今にもあふれんばかり。


清田拓郎

【写真:流された橋】

鉄橋が破壊されること自体、恐ろしい。道路も至るところに亀裂が入り、機能していない。

僕らの体の7割を占めてる水・・・あの日それは津波と化し、真っ黒い塊となって町へ襲いかかった。


清田拓郎

【写真:流された鉄橋のゆくえ】

鉄だろうとコンクリートだろうと、相手でなかった。


清田拓郎

【写真:岸に船】

本来あるはずのない場所にあるものでいっぱい。


清田拓郎

【写真:自衛隊ボート】

自衛隊の潜水ダイバーによると、海底には家具や衣類やその他のものでいっぱいらしい。


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『戦場』

清田拓郎

【写真:石巻市北上町】

町の思い出が、家族の思い出が、津波の脅威の前になすすべもなく流された。 悪臭とともに目の前にさらされた現実に、ただただ頬を濡らすしかできなかった。


清田拓郎

【写真:石巻市北上町】

(ここはどこの国?)

・・・正直、現実はあまりに残酷すぎる。


清田拓郎

【写真:石巻市北上町】

自分の受け持つクラス生徒57名が目の前で波にさらわれてゆくのを助けられず、その担任は教室で自殺した。この部落で明暗をわけたのは、下校時刻が早かった低学年と、まだ学校に残って授業中だったそれ以上の学年の子供たち。残ったのは後者。


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『絶句』

清田拓郎

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清田拓郎

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清田拓郎

清田拓郎

清田拓郎

清田拓郎

電信柱によじ登って命拾いした人は多かったらしい。電柱によじ登ってみたものの、足元のすぐ下まで水面が押し寄せ、水位が上がるたびに一段ずつ登る恐怖は想像を絶する・・・